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赤い体に白面。太い眉毛とひげ模様。祝い事の度に目を入れられ続ける彼は、 力強くもあり、どこかかわいげもある。日本人が好んでやまないだるま。 しかし、彼のモデルになったのが実はインド人であったという事実を、 あなたはご存知だろうか。

その昔、南インドは香至国(/こうしこく。現在のチェンナイ近辺)にて、バラモンの第三王子として 一人の赤ん坊が生を受けた。後に出家しインド仏教大27祖と言われる般若多羅に師事すること四十年、 仏教布教を志し、海路男は中国へ向かう。 齢六十。西暦520年のことであった。(527年とも)

三年の月日をかけ広州にたどり着いた男は、梁の武帝と対面し、 有名な「無功徳」なる言葉を残す。
その後男は禅を志し、嵩山(/すうざん)の少林寺で九年間壁と向き合い座禅したという (面壁九年/めんぺきくねん)。

男の名は菩薩達磨(/ぼさつだるま)。またの名を達磨大使。後に禅宗の開祖と仰がれる人物である。

嵩山の面壁座禅中、慧可(/えか)という僧が弟子入りを請うてきた。三度断られた慧可は 自らの左腕を切り落とし、誠を示した(慧可断臂/えかだんぴ)。達磨は慧可に禅の奥義を授けた。 慧可はその後中国禅宗第二の祖として名を残すことになる。

達磨には伝説的伝承が多い。上の「慧可断臂」もその一つで、雪舟が水墨画としても残している。 その他に、入滅時(536年頃)150歳であったとか、奈良で聖徳太子が達磨の化身に会った(日本書紀、613年) とか、実は妖術使いであった、などなど。それだけ影響力を持つ僧だったということか。

今日の日本で「だるま」として親しまれている玩具は、この達磨大師の座禅姿を模したものだ。 1500年の昔に生まれ、中国に禅を伝えたインドの僧が今、日本のいたるところで目を入れられている。 歴史の雄大さと、「ダルマ」がたどった運命的時間の壮大さを、感じずにはいられない。

明日から、だるまを見かけたら拝んで通ります。
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