こんなことがありました。
インドで、車が信号で止まると、子供を抱きかかえた女性が、「コツコツ」と窓をたたく。
子供を指差して、口に食べ物を運ぶしぐさをして、「マニィ」と言う。
同じくインド。駅のホームで、ぼろぼろの服を着た子供が2,3人、手を差し出して「1ルピー」と言う。
無視して歩き出しても、後ろをついて来て、服の裾を引っ張る。「1ルピー」。それがおそらく、
彼らの知るほとんど唯一の英語。
中国で、50センチ四方ぐらいの板に車輪をつけただけの乗り物(実際それは乗り物と呼べるのか
どうかもあやしいぐらいお粗末なものでした。手で地面を押しながら進むのです。)に乗った
男性が近づいてきて、こちらを見上げて手を差し出す。その人は片脚がありませんでした。
あの人の足は、なぜ切断されていたのでしょう。事故か病気か。いや、もしかしたら、
親に切られたのかも。生まれたときから物乞いとして生きていくことが決まっているのなら、
手や足は必要ない。むしろ無い方が同情を誘える。そう判断して、切ったのかもしれません。
外国、特にいわゆる発展途上国と呼ばれる国を旅していると、こんな場面にしょっちゅう出会います。
そんなときあなたならどうしますか?お金をわたしますか?無視して通り過ぎますか?
わたすなら、それは善意から?同情から?無視するのは、うっとうしいから?わたしてたら
きりがないから?
本当はお金をあげるべきではないのかもしれません。確かに、あなたが渡した1ルピーで、
その人は今日を食いつなげるでしょう。明日もあさっても、そうやって集めたお金で、生きて
いけるでしょう。でもそれは、彼らが物乞いとして固定されてしまうことを意味します。
私達がお金をわたせばわたすほど、彼らはそれへの依存を強め、自立から遠ざかっていきます。
善意でわたしたお金が、実は根本的な解決を遠ざけているのです。
でも、それでも、あんな場面に出会って、あなたは彼らを無視することができますか?
後ろから服を引っ張られても、車の窓をたたかれても、そ知らぬ振りで、目を合わさずにいられますか?
俺は、できません。できないことが多いです。特に基準を決めているわけではありませんが、
お金をわたすときわたさないとき、だいたい半々ぐらいだと思います。それでいいような気もします。
あなたはどうでしょうか。
余談ですが、一度試みにこんなことをしたことがあります。
インドで、男の子がバクシーシ(インド流の「お恵み」)を求めてきました。
最初ははねつけていたのですが、あまりしつこく後ろをついてくるので、対応策を
考えました。目を合わさずにいるのではなくて、目を見てやろうと。椅子に座り
目線の高さを同じにして、男の子の目を見ました。無言で。お互い無表情で。数秒間そうしていると、
男の子は恥ずかしそうに(よくあるはにかみ混じりの照れではなく、本当に恥ずかしそうに)
どこか切ないように、うつむいてしまいました。その後彼は、後ろをついてきませんでした。
そのときは、自分はなんてひどいことをしたのだろうと、
訳はよく分からないのですが、そう思いました。
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