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2004年11月30日

文化か人権か
先日、東京で行われた国際開発学会に参加してきました。もちろん、参加といってもただ縮こまって偉い先生方の報告を聴いていただけなのですが。まあ、学会というやつ自体初めてで、いい刺激になったし、学部二年のひよっこには理解できないぐらい難解な議論が大半を占める中で、興味深い報告(≒理解できた報告)もいくつかありました。今日はその中から、開発と文化の問題についての話をしようと思います。

ある地域に文化として根付いている慣行や儀式、宗教的思想なんかが、その文化圏の外の人から見ると、常識はずれに見えるというのはよくある話です。問題はその文化が、ある特定のカテゴリーの人たち(子どもとか女性とか)に保健衛生上悪い影響を与えていたり、社会的な疎外や差別を生んでいたり、その人たちの人権を侵害している(と外部からは見える)場合です。

「割礼」という言葉をご存知ですか?通過儀礼として性器の一部を切開したり、その一部を除去したりする習俗のことで、アフリカの多くの地域では女性が成人した証として、女性外性器の一部またはほとんどを切除したり縫合するという方法で、実際に今日も行われています。この習慣は保健衛生上の理由や女性や子どもの権利という立場から、世界的に廃絶を求める動きが高まっており、WHOやUNISEFなどの国際機関のみならず、国際NGOや国内NGO、各国の開発援助機関がこの「女子割礼」廃絶のための活動を行っています。

ある事例を紹介します。ケニアのある地域では伝統的に女子割礼が行われています。注目すべき一つ目の点は、そこではこの習慣が通過儀礼として重要視されていることです。割礼を経ることで、少女は女性へと成長し、地位を高めることができると考えられています。実際少女たちには「早く儀式を迎えたい」など、割礼を望む傾向が見られました。儀式の日は村人が総出でその少女の家に集まり、ご馳走が振舞われ、儀式が済むと年長の女たちは歌って踊って喜ぶのだそうです。

もう一つ注目すべき点は、割礼の医療化が行われているという点です。かつては伝統的割礼師によって行われていた手術が、現在は近代的医療施術者(看護師)によって行われています。これはある意味で画期的なことで、これまで割礼廃絶を主張する人たちが、その根拠の重要な一つとして挙げていたのが、"保健衛生"だからです。儀式の医療化によって、この問題は大部分解決されたことになります。またこの地域で行われている女子割礼は、クリトリスの先端数ミリを切除する程度のもので、他地域でしばしば行われる大陰唇、小陰唇の切除、外陰部の部分的あるいは完全縫合などに比べれば、健康に与える影響は少ないと思われます。

さてここで意見は二つに分かれます。たとえ医療化されても、また文化的に好ましい行事と認識されていても、割礼が行われる限り、女性と子どもの健康への権利が完全に回復することはないから、女子割礼は廃絶すべきだという主張。反対に、医療化によって問題の大部分は解決されたから、それでも廃絶を強要するのは、文化の侵害だとする主張。

世の中で行われている議論の多くと同様に、この意見の対立も、どちらが正しいということを断言することはできません。学会でこの報告をなさった方自身、「グレーゾーン」、なのだそうです。俺はといえば、同じくグレーゾーン、です。ただこの事例の場合、女性の健康を著しく害する事態ではなさそうなので、早急に廃絶すべき、とは言えない、かな。人権の捉え方も難しいですが、彼女たち自身がかなり積極的に(少なくとも嫌がってはいない)儀礼に望んでいるのであれば、問題はそれほど深刻ではないと考えます。自主的に医療化を行っているということは、割礼の保健衛生上の問題を彼らが認識しているということを表しています。医療化は、それに対する彼らの一つの「応え」だったのでしょう。

参考:国際開発学会
宮地歌織、「開発援助における人類学の可能性―グシイにおける『女子割礼』(FGM)の事例から―」、第15回国際開発学会 全国大会報告論文集、p124-p125。

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2004年11月26日

ブログっぽいのできた
最近流行りの「ブログ」というやつにとうとう手を出した。でもただ流行に流されるのはつまらないので、自分で作ってみた(自分で作ろうがレンタルしようが、流されていることに変わりはないのだが)。ブログっぽいのできてるでしょ?そりゃそうだ。だってデザインぱくりまくりごにょごにょごにょ・・・。livedoorさんごめんなさい。

このページ作るとき一番迷ったのは、右下の「ブログリンク」にどのサイトを入れるか。なぜならブログの定義が曖昧だから。ブログとはそもそも「Web log(ウェブログ)」の略らしい。もともとはアメリカのインターネットユーザーたちが、ネット上で見つけたおもしろいコンテンツやニュースに対してメモ(ログ)をつけだしたのが始まりだとか。それが今や、私的日記から時事問題などについての論説まで、内容の種類はほとんど何でもあり。しかもブログ向けのソフトウェアまであるから、それをレンタルやダウンロードすれば、HTMLの知識は必要ない。「ブログ」はネット上での手軽な情報発信のツールとして、利用者増加中である。

形式的には、日々更新されることとか、一つ一つの項目の集合体であることとか、時間軸やカテゴリによって項目が分類されていること、などが挙げられるが、厳密な定義はない。だから迷った。当ホームページの右下「ブログリンク」は、友人でブログやってる人のサイトを掲載しようと思って作ったのだが、でもじゃあどこからがブログで、どこからブログじゃないのか。今流行りのいわゆる「ブログ」は、大手サイトからレンタルしてるような立派なやつを指す場合が多い。せりんちの日記やぼくじんの部屋のネタ帳がそれである。閲覧者がコメントをつけられたり、トラックバックなる機能がついていたりする。でも管理人の友人には、自分でHTMLを打って日記を書いている人もいる。げんがいい。コペルニクス的思考などがそれに当たる。それらはいわゆるレンタルブログと比べて、形式的にも機能的にも相違がある。でも、私的情報発信という意味ではなんら変わりはない。ちゃんと一つ一つの項目が時間軸(日付)によって分類され集合している。これはブログじゃないのか?

結局俺はブログの意味を広めに解釈して、レンタルとかせずに自分でHTMLで日記を書いてるサイトも「ブログリンク」入れることにした。個人運営で日記的であればなんでもいいという結論。いわゆるレンタル「ブログ」についている様々な機能は、付属であって、ブログの本質ではないのだ。

と、いうわけで、当others*も立派なブログなのであります。(これが言いたかった。)

参考:livedoor BlogウィキペディアIT用語辞典e-Words

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