facilitatorの訳語について。いろんなのが出ましたね。中にはこんな言い方もあるのか、みたいなのも。羅列してみましょう。
世話人、世話焼き、促進者、事業開発仲立人、開発協力員、容易にする人、かけ橋となりうる人、支援する人、有効性を高めるモノ、天秤の支点、力を引き出す人、手助けする人、酢豚のパイナップル、ジャングルクルーズの人、・・・
「促進」とか「容易にする」なんて用語が出てきたのは当然でしょう。あと「仲立人」っていう要素も必須かな。酢豚やジャングルクルーズなんかは、きっと頑張ってひねったんでしょう。
で、自分はというと、「円滑化請負人」と答えました。「請負人」という言い回しに、facilitatorの持つ職人っぽいイメージと、給料取りという性質をにじませたつもり。どうでしょう?
この言い方だと、中立性(受益者とドナーあるいは行政の間に位置して両方に働きかける、どちらかに肩入れしない性格)を表すには言葉足らずかな。あと「円滑化」の目的語を入れるのには字数が足りなかった。本当は頭に「事業」とか「開発」とかつくとよりよいか。
講義名は「社会開発論」。先生は佐藤寛さんっていって、日本の開発の世界では間違いなく第一人者。通称サトカン。アジア経済研究所所属。
でそのサトカンから明日までの課題が出た。「facilitator(ファシリテーター)を日本語にするとなんと言うか。7文字以内で答えよ。」一つの正解があるような問題ではない。7文字ってのもミソ。ちょっとした頭の体操である。
開発の文脈で「facilitator」と言えば、俺の理解ではこうだ。途上国で開発プロジェクトを実施する際に、ドナーと受益者の間に立って、その進行をよりスムーズにする人。多くの場合現地出身者で、カウンターパートNGOのワーカーだったりする。彼らへの給料をドナー側が支払っているケースはしばしばあって、その場合プロジェクトのsustainabilityが問題点として指摘される。プロジェクトが終了してドナーが撤退すれば、給料が発生しなくなって、facilitatorがいなくなるからだ。という話は今日先生もしていた。
で、そんなfacilitatorを一言で表すと…、なんだろ?開発事業を円滑にする人…長い。円滑家?なんだこの日本語?でも「円滑」っていう言葉はいいな。あ゛−思いつかん。あとで考えよう。
後半二曲は置いといて、問題は「はじめてのチュウ」。そう。アニメ「キテレツ大百科」のエンディングテーマとして知られるあの「はじめてのチュウ」です。いい選曲でしょ。懐かしいね。でも、この曲を歌ってる人の名前、知ってました?「あんしんパパ」。初めて聞く人も多いのでは。俺も歌ってから調べて今知りました。
そもそもこの曲いろんな人にカバーされて、いろんなバージョンがあるから、原曲はどれなのかさえも曖昧だったんですが、調査の結果(ぐぐっただけ)、やっぱり「キテレツ大百科」で流れていたのが元のようです。しかも、実は最初の半年はオープニングだったんだって。その後エンディングに変更になったらしい。
で、歌手の「あんしんパパ」なんですが、驚くべき事実が発覚しました。あのカラカラした高音の持ち主「あんしんパパ」は、なんと、実は、架空の歌手だということが判明しました。唄っていたのは、コロ助の声優さんでも、どこぞの有名歌手でもなく、作曲者本人(「きゃるGG」なる人物)だったのです。
しかもあの印象的な高音には実はトリックがあって、レコーディング時、テープの回転を半分に落として録音したんだそうです。「はじめてのチュウ」にこんな製作秘話があったとは、驚きです。トリビアに出そうかな。
もちろん、その製作過程にどんな裏話があったとしても、この曲が持つ音楽自体としての魅力は変わりません。これからも「はじめてのチュウ」は、多くの人の心に残りつづけるだろうし、そんなことより何よりこの曲は、いつまでも俺のお気に入りです。
参考:ワンダーへんだぁランド
夕暮れ時。刻々と変化する日の光を浴びて次第に影を伸ばす建物郡は、その壁面を徐々にオレンジに変える。冬の澄んだ空を薄い雲は流れ、その下方、太陽と反対の空が紫に染まる。木々、空、建物、人。一瞬たりとも同じ姿を留めはしない。だから、目にとまったらためらうな。もたもたしていると、被写体はものすごい勢いで逃げていく。
低い植木の茂みに身をひそめて細く鳴いている猫にレンズを向ける。夕方のやわらかい光が葉の間から射し込み、一種幻想的な空間を作り出している。ファインダーをのぞくと、猫は突然の珍客にたじろぎかけ、鳴くのをやめてこちらを見据えている。
ピントを合わせる。被写体を中心に、手前と奥がぼけ、立体的に猫が浮かび上がる。
今だ。
「たかと!」
反射的に振り向く。と同時に、猫は走り出す。まるで、レンズと猫の鼻先をつないで両者を固定していた細い糸が、ぷつりと切れたみたいに。
「写真撮ってんの?」
尋ねる友人にあいまいな返事を返して、俺は走り去る猫を目で追う。文字通り、被写体はものすごい速さで逃げていった。
なんて書けばかっこいいけど、要は逃げられて悔しかったんだよ!いい写真撮れそうだったのに(涙)
率直に言って、思ったほど良くなかった。確かに映像はきれいだったし、ハウルはかっこよかったし、ところところぐっとくるシーンはあったものの、全体として物足りない。クライマックスも、あれこれで終わり?みたいな。期待しすぎたせいかな。
キムタクの声は意外とはまってた。けっこううまかったし。有名人に声優をさせると、そのキャラがしゃべるたびにその有名人の顔が浮かんでしまって興ざめなのが常なのだけど、ハウルはそうでもなかった。(シュレックのはまちゃんは最悪だった。)カルシファーの我衆院達也は良かった。かわいかった。あとやっぱ美輪明宏は存在感あった。
知人からの前評判では「難しい」との声が多かったけど、そうは思わなかった。ただストーリー展開が速い。あれは2時間でやる映画じゃないね。物語を構成する要素が多いせいで、全体的にまとまりがない印象を受けた。たとえば、戦争、恋愛、ハウルとカリシファーの契約、ソフィーにかけられた呪い、ソフィーの心境の変化、弱虫なハウルが変わっていく様、などなど。結局主題は何なのか。あれもこれも触れておいて、それでいてどれも前面に出てこない感じ。物語を貫く中心軸が見えにくい、というか細い。
ただ面白いと思ったのは、人物の姿の描き方。一番分かりやすいのはソフィー。呪いかけられてるはずなのに、なぜかいきなり元の姿に戻っていたり、40代ぐらいの容姿を見せたりする。クライマックスのソフィーは髪の色だけ白髪(銀髪?)のままで、年齢は元に戻ってる。呪いは解けたのか?
ハウルもそう。怪物に変身しているハウルは、顔まで怪物のときもあれば、顔だけは人のまま残っているときもある。特に最後の戦闘の後は、ひときわ恐ろしい怪物の姿で戦って、深手負って意識もほとんどない様子で、もう人間の姿に戻れない可能性もあるのに、顔だけは人のまま(無表情)。なんで?
もう一つ。一緒に見た友人が気づいたことなんだけど、荒地の魔女の爪に注目。最初魔女の爪は長くて色つき。でも王宮で実年齢に戻されて魔力を失った後、爪は白くて短い普通の爪になる。で、その後ちょっとずるがしこさを取り戻して(←この変化も原因不明、っていうか不自然)タバコ吸ってるときの魔女の爪は、また長く伸びている。
こんな感じの描写の変化が、物語の中では何の違和感もなく繰り返されます。急に若返ったソフィーにハウルは驚かないし、また90歳に戻っても誰も突っ込みません。キャラクターのその時その時の精神状態や内面を、あえて表に描き出しているのかな。不思議な世界観です。
ついでに。最後の王子様はいらないと思う。
「宮崎駿の映画はいい」ことを前提に見たけど…なんとなく物足りなかった。その物足りなさは…内容の薄さが原因やと思う。たくさん主題を盛り込んだはいいものの、1つ1つが中途半端。
荒地の魔女の爪は気づかなかった。早くテレビでせんかな。もう一度見て確かめたい。
カブ(かかし)の存在は必要。でもそれが隣国の王子様だったという設定がいまひとつ。
色々思うことはあるけれど、実際に語るのは難しいね。
個人的には「トトロ」が好き。テーマが分かりやすいから…と思ってるのは私だけ?実は深いテーマがあったりするんかな…?
Posted by tama 12/23
たぶん「宮崎映画」っていう肩書きがなくって、普通のアニメとして見せられたら、すごい、と思うんだろうね。期待に応え続けるって難しい。
映画にしろ小説にしろ、テーマは何なのかを探しながら見るのは苦手、というか好きじゃない(おい)。「となりのトトロ」のテーマが何なのか、それが簡単なのか難しいのか、判断はできないけど、「ハウルの動く城」のようにバラけた印象ではないな。
因みに俺は宮崎作品で一つ選べと言われたら、ラピュタかナウシカで迷います。
Posted by たかと 12/23
アンプラグドというサークルは変わっている。何が変わっているって、サークルっぽくないところが変わっている。練習日は月木の週二回あるが、行っても行かなくてもいい。仮に行ったとして、そこに所謂サークルのような拘束感はない。それぞれが好き勝手に散らばって、好き勝手にギターを弾いている。かと言って仲が悪いわけではない。練習(という言葉は適切でないかもしれない。みんな弾きたいから弾いている)時間が終わると、連れ立って晩飯を食いに行ったりする。そもそもサークルに「入る」という概念が薄いらしい。ギター弾きたい人は場所と時間提供しますから好きにやってください、という感じだ。
しかしそれでも、ライブ前などは一応ミーティングがある。日取りや演奏の順番などを決めなければならないからだ。「ライブ何日がいい?」会長の問いに、集まった10人程のメンバーが好き勝手に声を上げる。「月曜がいいから20日か13日じゃない?」「20日にしよう」「なんで?」「割り切れるから」「いいね。決定」
ミーティングは終始なごやかに進む。
ライブには時間が許す限り出たい人は誰でも出れる。順番もさっきの調子でテキトーに決めるから、当日はベテランとビギナーがごちゃ混ぜになって出てくることになる。聴いてる人は、ベテランの演奏に感動したかと思ったら、ビギナーの失敗に幻滅するかもしれない。また一回のライブで8組とか9組とか演奏するから、いろんな音楽が聴けて楽しいかもしれないし、あるいは、せわしく演奏者が入れ替わるので落ち着かないかもしれない。
ま、でも、アンプラグドのライブに漂う、気だるさというか、生ぬるい倦怠感というか。あの感じが俺には心地いい。
で今日そのパソコンに、いくつかソフトをインストールしました。Dreamweaver MX 2004とPhotoshop7.0(リンク先は最新バージョンのCSです)とFireworks(バージョン忘れた。リンク先は最新バージョン)とFlash(バージョン忘れた。リンク先は最新バージョン)。聞く人が聞けば分かる。この充実したラインナップ!すごいよ。もうテンション上がっちゃいますよ。違法コピー?いやだなあ。まさか。ハハ。何言ってんの。そんなわけないじゃない。ばかだなぁ。もう。まったく。…。
DeamweaverはWebページ作成に特化したエディタです。ソースいじるのにたいへん便利。PhotoshopとFireworksは画像編集ソフト。Photoshopはアニメ業界なんかでも多用されていて、スタジオジブリ製作の「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」の画像処理にも活用されているとか。(参考:…スタジオジブリがPhotoshopを活用)FireworksはWebに使う画像を編集するのに向いています。Flashは動画を作成するためのソフトです。
もちろん一朝一夕には使いこなせません。これみんな使いこなせたら、それだけで就職できちゃうんじゃない?っていうぐらいなもんです。ほんとそうそうたる顔ぶれ。あーわくわくする。まずはDreamweaverかなあ。誰か俺に新しいHPを作らせろ!
12月17日金曜日、ピアノ愛好会クリスマスコンサート。友人とセッションで出演することになっていた俺は、リハ開始30分前ぐらいに会場に着いてしまい、持て余した時間をギターを弾いて埋めていた(おっといきなり物語口調)。黒い細身のデニムパンツにCONVERSEのONE STAR、白いTシャツにスーツを羽織り、頭にはベージュのラインの入った黒いハットという出で立ち。セミフォーマルなコンサートとは言え、自分でも恥ずかしいぐらいキザな服装だ。変な小細工せずにいっそネクタイでも締めればよかったと、今更ながら後悔する。
リハは予定より10分遅れで始まった。「ギター弾くのは君?」ピアノ愛好会の年長メンバー(さっきめちゃめちゃ上手に弾いていた。)が俺に聞く。「どの辺で弾きたい?チェロとかだと生音だから、ピアノとぶつからないように場所考えなきゃいけないんだけど、音はマイクかなんかで取るんでしょ?じゃあ要は格好だけだな。」「格好だけ」という言葉が、彼の意図とは離れたところで耳障りに響く。と同時に俺は、遠慮と不安と疎外感と、少しの反抗心を覚える。「どこでもいいっすよ。」言い方が思った以上にぶっきらぼうになった。
リハは滞りなくは進まなかった。まず、俺が用意してきたピックアップが使えないということがわかったこと。加えて、伝達ミスでマイクが二本しか用意されていなかったこと。一本は友人の歌に使わなくちゃならないから、俺の方はギターと声を一つのマイクで拾うことになる。しかもマイクスタンドが高すぎてギターの音が入らない。これではピアノの音にギターがかき消されてしまう。椅子を限界まで高くして、マイクを鋭角に下に向けて、いつもより強くピッキングして、グランドピアノのふたを閉めて、友人に消音ペダルを踏んでもらっても、まだ音量のバランスが取れない。結局ピアノをできるだけ小さい音で弾くしかないらしい。この時点で、演奏の質が一段階落ちることは避けられなくなった。バンドや今回のようなセッションはもとより、ギター一本で弾き語るときでさえ、音量のバランスというのはそれぐらいくらい重要な要素なのだ。
(えー、長くなりそうなので、2時間分ぐらい割愛いたしまして、本番終了後まで話を飛ばします。)
「あーマジごめん」友人が言った。さっきから幾度となく繰り返している言葉だ。「いいって。俺も間違ったし」慰めるでもなく、励ますでもない、曖昧な台詞を返す。こんなときつい苦笑いしてしまう自分が、いつも嫌になる。「ニューイヤーコンサート出ようぜ。だって悔しくねえ?」悔しい、という感覚はなかった。ただ情けなかった。リベンジ?。どうでもいい。一人で外に出て、酒でも飲みたい気分だった。悪い癖だ。嫌なことがあるとすぐ殻を閉じて、思考を止める。夜風に当たって、ただ時間だけをやり過ごす。感情が風化するのを待つんだ。
「夜飲まない?」友人が誘った。そういう気分ではなかった。つまり、誰かと一緒に飲む気分では。でも断るのも煩わしいかった。「ああ…いいよ」歯切れの悪い返事を返した。
昨日は朝7時半に起きて、バイトに行って、仕事終わったの夜11時。
社長。労働基準法違反です。
この日は朝から友人の買い物に付き合う。何でも、アコースティックギターを買いたいんだが初心者でどれを買ったらいいか分からないから一緒に来て選んでくれ、とのこと。断る理由はない。とりあえず筑波で唯一の楽器屋に入る。
所狭しと並んだギターの中から、予算に見合ったやつを何本かピックアップする。まず友人が抱えてみて、ネックの太さやボディの大きさなどをチェックする。次に俺が弾いて音を聴く。とっかえひっかえ弾き比べる。楽器屋で試奏するのって楽しい。
調度いいのがなくて店を出る。ちょっと遠いが別の店に向かうことにした。ギターを探して楽器屋をはしごするこの感覚。懐かしい。
二件目の中古屋でもまた試奏。Morris→Morris→YAMAHA→よく分かんないアメリカのメーカー。サンバーストのMorrisが、小さいボディの割りによく鳴った。ネックが反って若干弦高が高くなっているのが気になるが、許せる範囲だ。値段も予算範囲内。これに決まった。ついでにケースも買って、外に出たころには午後3時。飯を食って解散した。
その後、久しぶりのギター購入(他人のだけど)に初心を取り戻し、近所の池の横で暗くなるまでギターを弾く。暗くなっても電灯の下でギターを弾く。通りかかるカップルにうるさがられても弾く。ああ楽しい。
そろそろ帰るか、と思ってケースにしまったところで携帯が鳴った。「土浦行かない?」結局夜9時頃まで土浦駅前で歌った。
嗚呼、ギター三昧。
ギターとピアノで弾き語り。うまくいけばかなりかっこよくなるはずなんだが、これがなかなか難しい。まず問題は俺のギターだ。幸いスガシカオバージョンの楽譜が手元にあったので弾いてみると、コード進行がスマップバージョンと微妙に違う。しかも見せ場の一つであるイントロのあのフレーズが、スガシカオバージョンにはなかった。友人から借りたスマップのCDを聴きながら、手直しを加える。
あと、唄ってみて気づいたけど、この歌けっこう難しい。急に高音になるところがうまく出ない。最後のサビなんかもう音程が跳ね上がっている。スマップのくせに・・・。あきらめて裏声にしてしまおうか。
ピアノと合わせるというのも初の試み。友人は既にけっこう弾けているから心配はないが、問題は二人が一緒に弾いて息が合うかどうかだ。本番一週間前で未だに一回しか合同練習をしていないくせに、「来週の月曜まで個人練習ね」とか言って余裕をかましてる自分が、かなり心配である。
20日には俺が所属するギターサークルのクリスマスライブも控えているのだが、こちらに至っては曲目すら決めていない。練習嫌いもここまでくると我ながらあっぱれである。そのせいで自分のギターの腕が高2辺りから進歩していない、どころか、退化の兆候さえ見えていることは、本人が一番よく知っているのだけど。
今日、国際相互依存論という授業で、「インタラクティブな授業をする」と公言した赤根谷先生の名指し攻撃の下、議論が思わぬ方向に向かいました。途上国がいつまでも貧しいままなのはなぜか、とか、グローバル経済や自由貿易は途上国の発展にとっていいものなのか悪いものなのか、みたいな。俺の好きな範囲。実のある議論、とまではいかなかったものの、いろんな人の言説が聴けて面白かったです。今日はその話。
現代の世界経済では、貿易の自由化とか、市場経済主義とか、グローバル経済だとかを推進するのが主流です。その際たるものがWTO(World Trade Organization、世界貿易機関)、貿易・経済活動における国家間の障壁をなくすこと(=自由化)を目指す国際機関です。現在WTOに加盟している国は150近く。世界中全部の国数が確か200ぐらいだから、単純に言えば世界の約3/4の国が自由貿易を推進していることになります。社会主義国である中国でさえ最近加盟したしね。
経済学の理論上、自由貿易は、先進工業国はもちろん、貧しい途上国にも資するとされています。分業によって生まれた富が、"神の見えざる手"によってマーケットを通して分配されると説いたアダム・スミス。国家を超えた経済活動というスミスの想定し得なかった理論の穴を、比較優位の法則を用いることで補強したリカード。これらの経済理論は、自由貿易が輸出国と輸入国の双方に利益を生み出すことを証明しています。国の貧富に関わらず、です。俺にはこの理論に抜け道を見つけ出すことはできません。
しかし現実はどうでしょう。グローバル経済や自由貿易は世界中に浸透しつつあるのに、貧しい国は貧しいままです。この状況を見て、途上国は先進国によって搾取されている、自由主義経済は弱肉強食の論理であって、産業の発達していない途上国はますます取り残される、と主張する人が増えています。いわゆる"反グローバリゼーション"、"反WTO"。一般的に、途上国援助をしているNGOの多くはこちら側、つまり反WTOを掲げている場合が多いです。彼らは、自由主義経済によって生まれた富は貧困層までは降りてこない、ボトムアップのための草の根的支援が必要だ、と主張します。
自由貿易論者の主張はこうです。現在途上国が経済発展に向かわないのは、自由貿易が浸透しきっていない過渡期的状態だからだ。経済の自由化をさらに進めることによって、途上国経済も便益を得ることができる、と。
個人的には、開発を勉強する者として、NGO的立場を採りたいと思っています。自由貿易が悪いとまでは言わないまでも、それだけでは貧困はなくならない、ような気がします。でも経済学のあの整然とした理論を聞くと、それが正しく見えてしまう。というか実際理論上は正しいのです。なぜその正しい理論が現在機能していないのか。原因は植民地時代の後遺症とか、文化や社会の多様性とか、先進国がかつては保護貿易を行い十分に経済成長してから自由貿易を主張し始めたという歴史的考察とか、いろいろ挙がると思うんですが、どれも状況証拠。理論そのものを覆してはいない。これなら結局、自由貿易をより推進すれば問題は解決してしまう。
世の中には経済理論では計れないことがある、と言ってしまうのはあまりに稚拙な気がする。だって既存の経済学を批判するには、まず既存の経済学を修めなくちゃならない。そんな大それたこと俺にはできないから、誰かこの謎を解き明かした暁には、手短に要点だけ教えていただきたい。
まずは学会で聞いた報告の概説から。題名は「日本の開発における介入者と媒介者の役割―ポール・ラッシュと澤田美喜を事例として―」
報告者は戦後日本の改革や経済開発を支えた人物の一人として、ポール・ラッシュという人物を取り上げています。アメリカ出身のラッシュは、戦前から、関東大震災で破壊されたYMCA会館の再建事業や、聖路加国際病院の再建・拡大のために尽力し、立教大学の教授をつとめた人物でもあります。戦後、GHQ将校として再来日。日本が戦争に突き進んだ要因の一つは農村部の貧困問題であるとして、貧困地域での農業振興プロジェクトを発案し、特に清里で実施した高冷地酪農の試みは、復興開発銀行(世界銀行)からの融資も受け、全国に普及・定着しました。また彼は自身の活動資金を集めるために、アメリカで数々の講演・募金活動を行っており、この"募金による援助活動"というスタイルは、その後もNGOなどに踏襲されています。
この報告ではもう一人、澤田美喜という人物が登場します。戦後一年もたつと、日本に駐留した連合軍の男性と日本人女性の間に生まれた混血乳幼児の遺棄が多発するようになります。そんな中、澤田美喜は、混血児用の孤児院「エリザベス・サンダース・ホーム」を設立し、生涯で2000人の孤児を育てた言われています。彼女はラッシュに倣い、その活動資金を米国の一般人からの寄付でまかなっていました。
この報告では、ラッシュを戦後日本における「よそ者」あるいは「介入者」、澤田美喜を「媒介者」ととらえ、その果たした役割、それらが機能した要因、そこから見えてくる、"日本人が現代の途上国において「介入者」として果たす役割"を考察しています。
続いてゼミ見学で聴いたベトナムの事例報告。題名は「『ベトナム社会主義』と国際ボランティア―ベトナム・フエ市のNGO活動を通して―」
日本のNGO「ベトナムの『子供の家』を支える会」(The Japanese Association of Supporting Streetchildren's home in Vietnam 以下JASS)は、ストリートチルドレンの自立支援のため、フエ市人民委員会と提携し「子どもの家」を建設・運営しています。またそれ以外にも、職業訓練センターの開設、奨学金支給、障害児支援、日本語学校の運営など、かなり多角的・包括的な支援を行っているようです。JASSベトナム事務所では現在6人の日本人スタッフがはたらいています。
この論文のキーワードの一つは「ベトナム社会主義」です。「ベトナム社会主義」下ではNGO活動を行うこと自体がベトナム政府やベトナム社会のシステムとの闘いです。JASS代表者は一度「日本警察のスパイ」容疑で国外追放になったこともあるとか。ベトナム政府から見ればJASSはベトナム社会主義を打倒する恐れがある危険分子、ベトナム社会の枠組みからはずれた外部者なわけです。筆者はこれを「外部者的逸脱者」と呼んでいます。
JASSベトナム事務所にはベトナム人スタッフも5名います。彼らと日本人スタッフの間には、長い現地活動の経過で醸成された信頼関係があります。この信頼関係の現われとして「子どもの家」が機能しているのであり、彼らのおかげで現在JASSはベトナム社会に受け入れられ、活動を続けています。筆者は彼らベトナム人スタッフを「媒介者」と呼んでいます。
まとめ。
開発援助において、先進国の人間が途上国へ赴くとき、その人間は受け入れる側の人々から見れば、常に「介入者」「よそ者」「外部者」となることを避けられない。「よそ者」と現地の人々との間には、多かれ少なかれ、何らかの軋轢とか、摩擦とか、弊害が生じる。上記二つの報告は、その障害を乗り越えて活動した/している人たちと、障害を緩和する役割を果たした/している人たちの事例なんですね(最近では、開発における現地中間組織、つまり先進国NGOと現地受益者とを仲介する組織の重要性が認識されつつあります)。50年前、介入される側だった日本が、現在「介入者」として途上国援助に関わっている。日本人は「介入者」として何ができるのか。何をすべきなのか。あるいは、何をすべきでないのか。「日本人」、と意味範囲の広い言葉を使うのはずるいかもしれません。最終的には個人。俺に何ができるのか。問題は、そこ。
だめだ、まとまってない。。
参考:
澤池多恵子、「日本の開発における介入者と媒介者の役割―ポール・ラッシュと澤田美喜を事例として―」、第15回国際開発学会 全国大会報告論文集、p116-p119。
原雅美、「『ベトナム社会主義』と国際ボランティア―ベトナム・フエ市のNGO活動を通して―」、文化人類学/「開発と文化」論ゼミ、2004年12月7日発表。
「others*」という名前は、Go on a Journeyに書かれている各国旅行記に対して「その他」を意味する名前としてつけました。で、その下に、サブタイトルというか、キャッチフレーズのようにくっついている「Your personalized journey goes there..」のフレーズは、とあるテンプレート配布サイトからパクリました(デザインも…)。英語的におかしいかもしれないので、その場合はメールにて教えていただけると助かります。
現時点での管理人の関心事は主に、旅、写真、ギター、Webページ作成、国際開発の5つ。ブログにはこれらについて書くことが自然と多くなるのでしょう。あとは日記的なことなど。右のメニューに「カテゴリ」を作ってもいいのですが、面倒なのと、保存しなきゃいけないファイルの量が倍増するので、作りません。
リンクは親ページであるGo on a Journey同様フリーです。無断で、好きなページにリンクしていただいて構いません。バナーはありません。ブログやっている方、ぜひ相互リンクしましょう。
ついでに、Go on a Journeyでははぐらかした自己紹介をしとこう。あえて。
名前: たかと(野崎隆人)
誕生日: 昭和60年(1985年)3月1日
血液型: A
職業: 学生
趣味: 旅、写真、ギター
生まれた所: 東京
育った所: 横浜
自分も含め横浜出身者の多くが、出身を訊かれると「神奈川」とは言わず「横浜」と答えていることに気づいたのが、大学入ってちょっとたった頃。相手に「気取ってる」と思われるのがいやなのと、あと「横浜出身の人ってみんな『神奈川』って言わずに『横浜』って答えますよねぇ」「俺それが嫌で『神奈川』って答えるようにしてるんですよぉ」って気取ってみたくて、あえて「神奈川」と答えていたのが大学1年の後半から2年の最初の方。「神奈川」と答えてる自分のわざとらしさに耐えられなくなってきたのと、どうでもよくなってきたのとで、特にどちらで答えるとも決めなくなったのが、ごく最近。今後しばらくは、「神奈川」で答えようと「横浜」で答えようと、出身地を答えるたびに、ぎこちなくわざとらしい自分に気づくだろうと気づいたのは、ごくごく最近。
「FIGHT!NIIGATA!!つくば発!新潟中越地震チャリティーコンサート」
どっかのドキュメンタリービデオから仕入れた事例を紹介します。
アフリカに、輸送用トラックの中継地として賑わうある町があります(場所・名前忘れた…)。そこでは夜になると、酒場に運ちゃんたちが集まって、歌ったり、踊ったり、長旅の疲れを癒したりします(記憶があいまいなため、正確な描写ではないかもしれませんが、本題ではないのでご勘弁を)。さまざまな地域から沢山の人間が、入れ替わり立ち代りやってくるこの町では、多くのセックスワーカーたちが住みついて、夜の仕事をしています。問題は彼女たちの間でHIV感染が広まりつつあることです。ビデオは女性の一人へのインタビューを撮っていました。その要点は以下の通り。
HIV/AIDS蔓延防止のための方策として「教育によるHIV/AIDSに関する知識の普及」を行うというのはよく聞く話です。でもこの事例の場合、知識はある程度普及しているのに、感染は食い止められていません。この町でHIV蔓延防止を目的にプロジェクトを行うことを想定すると、男女間の社会的地位の差、性産業以外の女性の収入源の確保(そのための町の経済活動の活性化や、コミュニティ内の相互扶助制度・女性自助組織の形成)、HIV/AIDSに関する基礎知識の徹底、など課題は多岐にわたることが予想できます。また感染者の死によるエイズ孤児の増加、彼らへの偏見は、ストリートチルドレンや失業を生み出し、貧困を拡大させます。
言いたかったのは、今やエイズは貧困やジェンダーの問題と深く結びついているということ。開発を考える上で、エイズの問題は決して無視できない存在となっています。