エキスポセンターの向かいの水上レストハウスで、写真展が開かれています。Youth Ending Hunger茨城と写真家小林博子の共催。写真はバングラデシュで撮られたもので、今回は女性が中心、風景写真も2割ぐらい。あと子どもとか。
先日小林さんとお会いしました。元気なおばちゃんですね。アジアを渡り歩いているうちに、バングラデシュにはまってしまったそうです。国内外で何度も写真展を開いておられます。
さすがにうまいですねぇ。今回は女性がテーマだから人物写真が多いですが、写真として惹かれるのはむしろ風景写真の方でした。夕日とか雲とか川とか。光を演出するのが上手いというか。
風景写真ってやっぱ難しいですよ。撮れないっスもん、自分。空を大きく入れた写真とか。逆光だったり、空は光が強いのに地面は暗かったりとかするから、露出が難しい。オート露出のまま撮ってもきれいには写らないんですよね。自分で補正しないと。それをイメージどおりにうまくできるかできないかの違いなんだろうな。同じ風景を同じカメラとレンズで撮っても、上手い人は上手い。勝てない。
まそんな訳で、2月6日までやっているので、ぜひ行ってみてください。入場無料。写真展の販売なども行っています。
昨年の9月にも行っておりまして、再訪となります。前回もそうだったんだけど、いわゆる旅ではありません。短く言えば、開発評価事業のアシスタント(という名目)で行きます。長く言うと↓のようになります。
名古屋に「チェルノブイリ救援・中部」(略して「チェルQ」)というNGOがあります。ウクライナのチェルノブイリ原発事故の被災者やその家族、被災地域の病院に対して支援をしているNGOです。医療機器や医薬品、車椅子、粉ミルクなどを送る医療支援が主な活動ですが、被爆者の家族を対象に奨学金という形で教育支援も行っています。
正確な数字は忘れましたが、設立して15年だか20年だかになるそうです。で、そろそろ突っ走るのを一休みして、今までの活動を見直そう、みたいな動きがあり、評価事業が立ち上がりました。
いくつもの支援対象とプロジェクトを抱えるNGOなので、その全てを一度に評価することはできません。そこで今回対象にするのは、JICAの資金協力で行われた小規模病院への医療機器支援プロジェクトです。都市部の大病院ではなく、田舎の小さめの病院が主な対象。「治療」ではなく「予防」を重視した支援ですね。Primary Health Care、ってやつです。
評価には第三者の客観的な視点が重要になってきます。今回も開発評価の専門家が現地で調査を行うことになりました。で、ちょっとコネクションがありまして、そのアシスタントとして俺も関われることになったわけです。
9月に行ったのは下見みたいな感じで、今回が本調査。今回の医療支援によって何がどう変わったのか、医師、患者、地域住民の声を直接聞きながら、評価します。するのは俺じゃないけど。
実は一昨年の12月にインドを再訪したときも同じでした。インドのアンドラ・プラデシュ州で開発援助してるNGOの評価事業にくっついて行ったんです。
その時の経験から言って、アシスタントとは名ばかりですね。半分荷物持ちみたいなもんです。あとは写真撮って録音するぐらいしか仕事ないんだもん。でしかも今回はJICAが噛んでるせいか、外務省から旅費が出る。これはおいしい。
そんなわけなんで、2週間ほどいなくなります。帰ってくるのは15日。筑波を出るのは31日。ちなみに行きも帰りもフランクフルトで一泊。あぁ楽しみだ。
Go on a Journeyに検索エンジンから訪れる人はおそらくほとんどいないでしょう。みんな常連さんです。常連さんが積み重ねた10000アクセスです。1年と3,4ヶ月で10000。世の中に一日で何千人も訪れるサイトがごろごろあることを考えれば、決して多い数字ではありません。
旅行記にしてもエッセイにしても日記にしても絵にしても、こういう個人サイトのアクセスのほとんどは、閲覧者の「期待」によって成り立っています。このサイトの記事は面白いに違いない、だから読みたい、という「期待」です。詳しくは「趣味のWebデザイン」のこの記事をご一読あれ。ちなみに他の記事も面白いからこのサイトお勧め。
Webサイトのアクセス数っていうのは、そういうもんです。多くの人が必要とする、面白いと思う情報を載せれば、自然と増えます。デザインをきれいにしたり宣伝とか相互リンクとかYahoo登録とかいろいろ頑張れば、2倍や3倍にはなるかもしれない。でも10倍や100倍とはいかない。結局、中身が決めるんです。どれだけの人が見たいと思うか。デザインが見にくくて、宣伝もたいしてしてないのに、Go on a Journeyの何十倍も人が訪れるサイトがいっぱいあります。
10000というのは、そいういう数字です。このサイトの中身と、閲覧者の期待が、これぐらいの数字になったわけです。満足でもなければ、別に不満でもありません。
ただちょっと「div」タグが多いのが気になる。「div病」はCSS初心者がおかす典型的なミスの一つだ。だって楽なんだもん。もうちょっと工夫すれば一つぐらい減らせたかも。
背景画像に使っているスケッチブックみたいのはsimple@ismさんからいただきました。いつもお世話になってるサイトでござんす。でももうすぐ閉鎖しちゃうらしい。すごく残念。いい素材いっぱいあるのに。。
いつもWebデザインするときは、いくつかのサイトを参考にしながらつくる。筑波模擬国連のときはWorld Bankを、ここothers*のときはぼくじんの部屋のネタ張や、live doorのブログを、そして今回のインドシナ旅行記のページはここ(Web Standards Awards)とか先述のsimple@ismとか。
よく言えば「参考」、悪く言えば「パクリ」だね。でもソースは完全手打ち、コピペも書き写しもなし。ってかソースコピペしても意味ないんだよね。CSSファイルはたいてい見れないし。テンプレ配布サイトは別ですが。
一つ面白いサイトを紹介。css Zen Garden。CSSによるWebデザインを極めよう、というコンセプトのサイト。1セットのHTMLファイルとCSSファイルを公開していて、閲覧者はそれをダウンロードして自分なりのデザインを加える。ただし、HTMLの方はまったくいじらずに、CSSだけで。そうしてデザインされたページがいくつも載せてある。とても同じHTMLファイルとは思えないほど、奇抜で多様なデザインが山ほど公開されている。CSSはもとより、画像処理技術のレベルが高すぎて、パクる気もおきない。ってかできない。Webデザインってこんなこともできるのかと、ただただうなるのみ。
はっきり言って、作詞作曲する気は全くと言っていいほど、ない。中学の時分、一度挑戦したことがあったけど、だめだめだった。完成すらしなかった。去年の学祭前、俺とのセッション用に友人が作った曲に、部分的ながら詩をつけてくれと言われたときも、書けなかった。ほんの1,2行のことだったんだけど。浮かばなかった。
ある先輩がこんなことを言っていた。「感情のコップからあふれ出た水滴を拾って作るんだ。」まあ、こんなクサイ言い方ではなかったけども、だいたいそんなことだ。へえ、と思った。たぶん俺は、こぼれた水滴を拾う気がないのだろう。
それから別の人が、伝えたいことがあるから詩を書き歌にする、というようなことを言っていた。なるほど。おそらく俺には、伝えたいことがないんだろう。
じゃあ、伝えたいことがない、っていう内容の詩を書けばいいんじゃないかと考えてみる。でもやる気がおきない。別に、伝えたいことがないってことを伝えたいなんて思ったことはない。少なくとも意識的には。
じゃあこのブログはなんだろうか。立派に伝えてるじゃないか、伝えたいことがないってことを、不特定多数の人に。旅行記だってそうだ。旅行した経験、そこで感じたことを、伝えてる。
あー。そろそろ面倒になってきた。おつかれさま。
この正月はカンボジアで迎えるつもりだった。元旦はさんで2週間ぐらいシェムリアップに滞在する予定を、漫然と立てていた。でもいざ航空券を取ろうとしてみたら、全体的に値段が高いし、安いのは全部埋まっていた。年末年始を海外の観光地で過ごそうと考える日本人は、俺の思っていたより多かったらしい。読みが甘かった。
カンボジア再訪の目的は二つある。一つは知人(日本人)にレンタル中のデジカメを返してもらいに行くことと、もう一つは、豚を食べに行くこと。
前者に関しては、俺とその知人の間に一つの契約が交わされている。ある日、彼のカメラが突然壊れたため、俺は自分のカメラを彼に渡した。条件は100ドルの現金と、俺が日本に帰った後、撮った写真をメールで送って現地の‐正確に言えば孤児院の‐状況を逐一伝えること。
その時点で彼は2005年1月末まで滞在する予定だった。もしその時までに俺が再訪することがあれば、50ドル払ってカメラを返してもらう約束だった。もし二度と会わなければ、カメラは彼の手に残り、100ドルで売られたことになるわけだ。
帰国後、俺は新しいカメラを買ってしまったし、時代遅れのコンパクトデジカメなんかあってもなくても同じようなものなのだけど、それが実は俺に写真のいろはを教えてくれた人からのもらい物なもんだから、なんだか売ってしまうのがしのびない(なら最初から貸すなと言われると返答に窮する)。それに二つのカメラを使い分けるというぜいたくも、捨て難い。
こうして、カンボジア再訪の理由の一つが成立した。
そして豚。俺はシェムリ滞在中、豚を一匹買っている。15ドルぐらいだったと思う。あの時はピンク色の大きさと値段が手ごろなかわいい豚を探して、あちこち走り回ったものだ。
その豚は今、俺が世話になった孤児院で飼われている。最初は馴染めずに荒れてばかりいた豚もやがて落ち着き、子どもたちが心を込めて残してくれた残飯と、天敵を寄せ付けない安全な囲いのおかげで、今頃はすくすく育って1mぐらいにはなっているかもしれない。ちょうど食べごろである。
彼らに豚をペットして飼おうという概念は全くない。食用か商用だ。つい先日も、年末の祝宴用に別の豚が屠殺されている写真が送られてきた。どうせいつか食べられてしまうのなら、せめてその死に様をこの目で見届け、さらにその血肉をこの胃腸で消化してやろう、というのが親心と言うものだ。
そういうわけで、カンボジア再訪二つ目の理由が成立した。
幸い知人は予定を変更して3月末までは滞在するというし、豚を食すのも俺が行くまで待ってくれると言う。12月に行く行くと言っておきながら、結果的に約束を破る形になってしまった手前もある。春休みはきっとまたカンボジアに行こうと決心する今日この頃である。
‐孤児院の様子について、galleryの「CAMBODIA.1」を参照されたし‐
例えば、プロ野球選手が投げる時速150kmのボールは、1/4000秒の間に約1cm空中を進むことができる。
1kmを15分で歩く人間は、1/4000秒の間に約0.3mm歩を進めることができる。
テーブルの上に置かれた缶ビールを、俺の右手が0.1mm口に近づけるのにかかる時間は約1/4000秒だ。
要するに、1/4000秒というのは、日常生活で目に触れるもののほとんどが、ほんのわずかだけ動く時間だ。あるいは、あらゆる事物がほぼ静止するぐらいの時間、とも言えるかもしれない。
特にオチはない。ただ、そう考えてちょっとゾッとした。
そんなわけで、寒さ対策がまず肝要。たぶん今所持してる服じゃあ死んでしまうだろうから、もっとふかふかな、そうふかふかな、もっとこうふかふかな。・・・。
話は変わるけど、1月2日の一の矢宿舎の寒さは尋常じゃなかった。暖房の泊まった宿舎をなめてたね。去年は年末年始筑波にいなかったから、知らなかったんだ。おまけに我が家には一年通して毛布二枚しかないときている。気休めに毛布の上にジャケットかぶせてみたりしたけど効果薄。眠れませんでした。で、次の日は青部屋で寝ました。
去年0枚ということは、今年は来ないはずだった。一枚も。でも来た。実家に俺宛のが一枚だけ。おととし書いた2枚のうちの一人だった。送ってくれた人に返さないほど薄情ではないから、返事を書くことにした。純粋に懐かしくもあった。
「明けましておめでとうございます。お変わりありませんか。たぶんないのでしょう。‐中略‐僕のほうは、‐中略‐相変わらずギターを弾きます。うたも唄います。最近は写真が好きです。旅をしたりもします。そんなところです。それでは、今年もよろしくお願いいたします。」
今年最初に見た夢は、5日ぐらいかな。初夢って元旦に見ないと意味ないんですかね。
祭りみたいなんだ。縁起いいでしょ。人がいっぱいいる。半円形に人だかりをつくって、広場のほうを見てるんだ。視線の先には何の飾り気もない事務机が置いてある。大きさは標準サイズの二倍ぐらい。机の上にはなんだかカラフルなゴムボールみたいのが、散乱してる。
俺は趣味の悪い水色のはっぴを着て、人だかりとは少し離れたところで、パイプいすに座ってる。誰かに手招きされているような、誘われているような気がするんだけど、遠慮して、笑ってごまかそうとしてる。
そのうち司会者が声を張り上げて、出演者を紹介する。でも俺は人だかりの脇を通って逃げようとする。そしたら水色のはっぴを着た別の男が、事務机の前に立って、演奏を始めた。演奏?でもそいつは楽器を持ってない。両手にマイクを持って、それで机を叩いてる。太鼓みたいに。叩きながら、唄ってる。なんの唄かはわからない。でも下手くそだ。ピンマイクを通して辺りに鳴り響くその歌声は、代わってやりたくなるほど下手くそだ。
しょうがないから俺はそいつの横に立った。相方(そいつは相方だったんだ)は舞台袖のスピーカを顎で指して、俺に何かうったえようとするが、何のことだかわからない。俺も一緒になってマイクで机を叩き、唄を唄う。でもまったくうまくいかない。
すると相方は机の向こう側へ回った。そっちに行ったらお客さんと向き合っちゃうだろ。あれ?それでいいのか。自分がお客さんに背中を向けていたことに気づいた。でもそのまま続ける。演奏はまったく下手くそだ。
やがて相方が両手を頭の上で大げさに振って演奏を止めた。返しが弱くて自分の声が聴こえないんだ、と彼は言った。
なるほど、と俺は思う。さっき合図したのはそれだったのかと。でもそれは言い訳に聞こえた。何か足りないんだ。もっと肝心なことを見落としてるんだ。
ギターがあればな、と俺は思う。二人のうちどちらかでも、ギターがあればいいのに。だって伴奏がないんだもの。
今年は地元で普通に越しました。高校の友達と飲み屋で。すでにつぶれかかってた俺は横になって灰皿をいじりながらカウントダウンを聞きました。クラッカーのはじける音とか、新年の挨拶を交わす男と女の声とか、サービスで蕎麦を持ってきた店員さんの足音とかを、頭の端のほうで聞きながら、あ〜あ。みたいな。くだらない、とわざと思ってみたり。やけに厭世的な思考の中新年を迎えたわけです。
店で3時まで飲み、その間に俺は何度か吐き、眠り、その後カラオケで6時まで唄い、7時に帰宅して就寝。いつものパターンだ。ああ楽しい。今年もいい年でありますように。に。に。に。