で、昨日一学期第二回目のゼミがあった。一回目はオリエンテーションで終わったから、中身のあるゼミをやったのは実質的に今回が初だった。
正直言って、大学に入ってからずいぶん長い間、勉強に興味を持てなかった。サボリと居眠りの常習犯で、講義中のあまりの熟睡っぷりに、友人から睡眠障害ではないかと心配されたぐらいだ。
でも昨日のゼミは違った。久しぶりに勉強を面白いと思った。知識欲。もうとっくに損なってしまって、必要もないと思っていた。でも久しぶりによみがえったその感覚は、懐かしくて、心地よかった。
これが学期始め限定のやる気に終わらないことを期待する。
サークル仲間の反応や、客として聞いてくれた友人の反応を聞く限り、演奏のできは3月のライブよりだいぶよかったっぽい。あるギター仲間は「つまらないミスが減った」と言った。初めて聴きに来てくれたある先輩は「プロっぽかった」と、いささか誇張気味な誉め言葉を残してくれた。
しかし個人的に、ボーカルはいまいちだった。ほとんどのどのウォーミングアップをせずに唄ったため、音程が安定しなかった。3,4曲本気で唄った後ぐらいでないと調子が出ないのだ。音程が取れないと気分も乗ってこないから、消極的になる。するとますますボーカルに覇気がなくなる。ライブ終了後、録音したMDを聴いたのだがひどいもんだった。天狗になりかけていた鼻を折られた気分だった。俺は決して唄はうまくない。
やはり本番前の声出しは必須だ。この反省は次回に活かそう。そしてもっとうまくなりたい。
練習にも録音を取り入れることはできないだろうか。常に自分たちの音をチェックしながら練習したい。そのためにはスタジオで本格的に録音機材を使うか、いつもの練習部屋でマイクから音をひろうか、だろうか。今度メンバーに相談しよう。
いつも通り声を張る。ライブほどの高揚感はないものの、それなりに本気で唄う。
ところが、他の軽音サークルに友人の多いメンバーの一人が言った台詞に、俺は驚いた。
「うちのボーカル練習のときも全力で唄ってるよ、って言ったらちょー驚かれた。」
え
「練習ん時はボーカル唄わないんだって。ってか練習来ないらしい。」
えー!?
そうなのか?それが普通なのか?だとしたら驚きだが、もしかしたらそのバンドだけの話かもしれない。バンド界の常識を知らない俺には判断しかねた。
確かに、唄は練習したらした分だけ上達する他の楽器類とは違う。唄いすぎれば声をからして逆効果になる可能性だってある。にもかかわらず、俺が練習でもできるだけ本気で唄うことにしていた理由は、メンバーが練習中なのに自分だけ唄わないのはなんかサボっているようで気が引ける、というのが一つ。もう一つは、練習のイメージをできるだけライブに近づけるためだ。平たく言えば、唄が入ったほうがみんなノリやすいかなぁ、ということである。あとまぁ歌詞を覚えるため。
確か「BECK」のスタジオ練習シーンでは、ボーカルはちゃんと唄ってたはず。しかも汗だくで。やはりそれがあるべき姿なのか…?
練習のときも歌ってるってのが凡人(俺)からみた常識だったから、正直びっくり!!!
でももし俺がバンドメンバーならボーカルに歌ってほしいな♪
でも要はたかとはたかとの好きなようにしたらいいんじゃん???
本気で歌ってるなら練習も見に行こうかな(邪魔者・(笑))
Posted by かのー 4/21
うんまぁストレス発散という理由もあるので、当面は練習でも唄うつもりです。
練習今度見に来てくださいよ。かのうさんがいると場の雰囲気が良くなります。せまいですけどね。あと爆音のため耳鳴りが一晩中とれなくなります、たまに。
Posted by たかと 4/21
中学、高校時代は運動が日常の一部だった。いや、大半だったと言ってもいいかもしれない。陸上部に所属し、毎日毎日グラウンドを駆けずり回った。生活と思考の大部分を陸上に割いていて、それが抜け落ちた状態を想像もできなかった。引退した後は受験勉強がその穴を埋めていたので、気づかなかった。
なにに?
自分の生活と思考に、部活がこんなにもくい込んでいたということと、それが抜け落ちた後の脱力感に、だろう。
程度に関わらず、俺には運動が必要だった。あるいは、中高を経て、そういう体質になった。
でもある意味で、陸上に熱中していたあの時期は精神的に楽だった。走っている間や走ることを考えている間は、他のいろんなことを考えずに済んだ。部活に熱中している自分のほうが、帰宅部の連中よりも、本質に近づいていると錯覚していた。
それでいて、大学に入ったあと、陸上を続けるつもりはなかった。怪我もあったし、筑波の陸上が強すぎるというのもあったが、例えば怪我がなくて大学の陸上部が弱小だったとしても、続けようとは思わなかっただろう。なぜかと訊かれれば当時の俺は「疲れた」と答えたかもしれない。
あーよくないな。このへんでやめよう。今年度の体育で陸上を履修することになったせいで、ついいろいろ思い出してしまった。ただ体育を楽しめばいいんだ。
うちのバンドはスタジオというものを使わない。実際一回しか使ったことない。どこで練習しているかというと、サークルの先輩の家だ。
先輩は農家の空き家を借りて住んでいる。部屋が余っている上に、お隣の家まで100mはあるから、がんがん鳴らしても苦情はまったく来ない。先輩は研究室に入りびたりでめったに家にはいないし、バンド経験もある人だから理解があって、いくらでも使わせてくれる。
先輩が不在のときでも鍵は開いてるから、好きなときに勝手に上がりこんで練習。練習中に先輩が帰ってきても、
「お、やってるね」
とか言って自分の部屋に入ってしまう。すごく寛容。金はかからないし、大助かりである。
ただこれから夏になるにつれて、ひとつの問題が浮上してきた。暑さだ。
練習に使わせてもらっている部屋は6畳の畳部屋。そこにドラムセットを含む機材と5人のメンバーが入ると下手に身動きが取れないぐらいの狭さになる。部屋にクーラーはない。埃が入って鼻炎持ちの先輩に迷惑がかかるので、窓は極力開けたくない。
真夏のこの部屋がどんな蒸し風呂状態に陥るかは、想像に難くない。
先日、気温は20度を少し超えるぐらいだったと思うが、それでも一曲唄うと額から汗が幾すじも流れた。
ん〜まずい。死んでしまう。扇風機を置いたとしても気休めにもならないだろう。しかし秋の学園祭での演奏を目指すなら、夏場まったく練習しないという選択肢はあり得ない。暑さに耐えるか、スタジオを使うしかない。
今年は例年以上に夏を実感できそうだ。(気が早いか)
先日とりあえず、書籍の類を整理しようと思って、備え付けの本棚に並べてみました。幅1m、高さ180cmぐらいの、けっこうでかい本棚です。
一番下の段に開発関係の専門書と辞書。下から二段目に新書と大学で買った教科書類とハンドアウトのファイルなど。三段目に写真関連の雑誌や文庫、数冊の漫画、楽譜。四段目に小説。
なんでしょうね、これ、楽しいんですよ。本の高さを揃えたり、小説を著者別に並べたり。あー読んだなぁ、っていう自己満足でしょうか。出来上がった本棚を眺めてると、なんか壮観で、落ち着くんですよ。
考えてみれば、自分だけの本棚なんて持ったことなかったってことに気づきました。実家の自分の部屋は、昔親が使っていた部屋で、本棚にもその当時の本が詰まっていて、自分の分を置くスペースなんてほとんどありませんでした。木製の小さいラックを使っていたような記憶がありますが、それも半分以上は書籍以外のもので埋まっていました。当時はそんなに読む方ではなかったので、それで事足りていたのでしょう。今だってあまり多読な方ではありませんが。
並べ終えてみると、あれだけ大量に散らかって見えた書籍類が、すっぽりと収まって、おまけに一番上の段が一つ空いていました。とりあえず置く本がないので、当面は空いたままでしょう。さてどんな本が並んでいくのかなぁ。小説かな〜たぶん。
俺が一の矢食堂を利用し始めて、二年になる。いろんなことがあった。テーブルクロスが変わり、お盆やコップの配置が変わり、料理長が変わり、土曜日のカレーサービスも変わった。
でも変わらず通い続けた。
どんなに店員の愛想が悪くても、カツどんの肉がゴムみたいでも、テレビのリモコンが利かなくっても、俺は見捨てなかった。いつもがらすきのテーブル群に一人ぽつんと座って、A定食とB定食をローテーションで食べた。「いただきます」と「ごちそうさま」のあいさつは、忘れなかった。
美味くもなく、安さだけがとりえで、がらんとした一の矢食堂が、けっこう好きだった。
それがどうだ。ここ数日の盛況振りときたら。
テーブルのほとんどが埋まり、楽しげな声が響いている。客はたいてい2,3人の団体だ。中には男女のカップルさえ混じっている。先日など、カウンターに10人近い行列ができていて、俺は嫌になって外に出た。
原因は分かっている。新入生だ。宿舎に入居したての、にわかユーザーだ。
お前らの話していることなど分かっている。
筑波ってすごくない?売店も風呂も食堂も床屋もあって、もう大学出なくても生活できるって感じ。だよねー。でもさ、実際あの床屋使う人とかいんのかな?いないいない。はははは。ってかこの豚丼まずくねぇ?ちょーまずい。この食堂つかえなくねぇ?あんまきれいじゃないしねー内装とか。だねー。安いだけじゃん。値段相応って感じ?
もうね、馬鹿かと。アホかと。
食堂ってのはな、がらんとした中にぽつりぽつりと座った独り身の男と冷たい目。およそ人の声はせず、テレビの音だけがむなしく響く。ひとたび目が合えば喧嘩でも始まりそうな、あの殺伐とした雰囲気がいいんじゃねーか。
それをキャピキャピとした春の雰囲気で穢しやがって。だいたいおまいら、「いただきます」は言ったのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。あとそこのおまえ、米粒が茶碗に残ってるんだよ。一粒残らず食え!農家の愛を噛み締めろ!!(←マシンガンズ)
「俺さ、宝くじ当たっちゃってさ・・・」
「マジで!?いくら?」
「100万円」
「えっ!?マジで?ぅぅわ〜。それあんま人に言わないほうがいいよな・・・」
「うん。今日何日だっけ?」
「・・・。おい。」
なんというか、新居というのはいい。白い壁。がらんとした床。まだ誰のものにもなっていない、まっさらな空間。あそこに本棚を置いて、ベッドはこの位置で、そうだ明日はこんなインテリアを買って。アジアンテイスト?ヨーロピアン?それともシンプル?怠惰な俺でさえ、そんな想像をせずにはいられない。
でもそんな想像はどうせ実現しないであろうことも、分かっている。分かっていながら、気が利いた人間はこんなことを考えるんだろうなぁ、なんて思いながら、その真似事をする。正直なところは、部屋の内装なんてどうでもよい。寝るところがあれば十分である。
ふと、一昨日まで住んでいた部屋のことを思い出す。引越しの直前はひどいありさまだった。机の上は本と書類とその他こまごましたもので埋まり、床にはたたまれることのなかった洗濯物たちが重なり合っていた。文字通り足の踏み場もない状態。この前掃除したのはいつだったか、もはや覚えていない。
それでも、二年間住んだ部屋である。荷物を運び出して何もなくなった部屋に一人座ると、名残惜しさのようなものも感じないではなかった。がらんとした部屋は、二年前の入居の日を思い出させると同時に、新たな居住者の存在を俺に暗示しているようだった。
新居へと思考を戻す。まっさらに見えるこの部屋にも、前の居住者がいたわけだ。だから何というわけでもないが。