地球上の物質はすべて微小な分子そして原子からできています。分子は原子の組み合わさったものです。今日100種類ぐらいの原子が知られています。あらゆる物体はこの100種類の組み合わせによって形をなしています。
原子をさらに細かく見てみます。原子は原子核と電子からできています。原子の中心である原子核の周りを、電子が円を描いて飛び回っているのです。原子核はプラスの電荷を帯び、電子はマイナスの電荷を帯びているため、お互いに引かれあい釣り合っています。また電子の数は原子の種類によって異なります。
電子は原子核の周りを無秩序に飛び回っているわけではありません。原子核からいろいろな距離にある「殻」(コースみたいなもの)の中に配置されているのです。内側、つまり原子核に近い側からK殻、L殻、M殻…と呼ばれていて、それぞれの殻に入ることができる電子の数は決まっています。
太陽系を想像してみてください。原子もあんな感じです。太陽が原子核で、惑星が電子。ただし、一つの軌道(殻)に惑星(電子)一つとは限らないし、殻は平行ではないですが。
最後に原子核をもっと細かく見てみましょう。原子核は陽子と中性子の集合からできています。見た目は団子状にくっつきあってます。陽子はプラスの電荷を帯び、中性子は電荷をもっていません。原子核がもつプラスの電荷は、陽子のものなんですね。ちなみに陽子や中性子の数も、原子によって異なります。
以下余談。
さて、これでだいたい原子の構造はわかっていただけたと思います。文系用に数字は極力避けて書きましたが、参考までに言えば、原子の大きさ(つまり一番外側の殻の直径)は10-8cmで、原子核は10-12cm。仮に、甲子園球場を原子の大きさとすれば、その真中に置いたサクランボが原子核の大きさになります。(←原子の種類によって異なるので、だいたい。)
さらに参考までに言えば、宇宙で一番小さい原子である水素一個の大きさは0.000 000 01cmで、その質量は0.000 000 000 000 000 000 000 0017g、だそうです。ぴんとこねー。
はい、んじゃあ今日は以上で。次回は化学反応と核分裂の違いについてやります。
安全信頼性概論のプレゼンのために調べたのと、エネルギー環境論の講義レジュメでかじった知識をひけらかそうというこの企画。「かじった」知識だから、間違いもあるかもしれないので、あまり信用しないように。雑学あるいは豆知識のようなもんだと思って、話半分に読んでもらえればそれで十分です。いや、っていうか、読んでくれる人がいなくても勝手に書きます。ブログなんてそんなもんだろ。
というわけで、第一回目は「原子の構造」と題しまして、原子力の仕組みを知るために必要な、原子そのもののつくりをご説明します。といっても中学の化学で習う程度の内容ですので、この辺は俺より詳しい人もたくさんいるでしょう。てか原子力全般に関しても、読んでて「へっ、この程度の知識で、なにが特集だ」みたいな人もいるかもしれませんよね。でも気にしません。対象読者層は原子力に関してほとんど無知か、なんとなく知ってるけど詳しくは…、みたいな人です。
前置きがながくなりました。
そうそう。今日はそのエネルギー環境論のテストが1限からあったんですが、昨日はゼミの飲み会だったんです。夕方からボーリング、七時から飲み、二次会までしっかり参加、帰宅したのは午前1時半で、そこから一夜漬け開始というハードスケジュール。これにより管理人は現在(午前10:55)耐え難い眠気に襲われていまして、よって今日はここで終わります。続きは今日の夜かもしくは明日以降ということで。ではおやすみなさい。
帰りは、懐かしいJ-POPを聴きながら、がらすきの西大通を快走。気分がよかった。
「カラオケいかね?」
「行くか!」
即決。GOLDへ直行。
三曲目を熱唱してる途中で、はたと気がついた。「俺今日金ないんだった」
はっとする友人。立ち上がって二人同時に財布の中身を確かめる。
やばい
「俺セブン行ってくるわ!」
そうだ、セブンイレブンにいけばATMがある。頼んだぞ友人!
10分後
帰ってこない。
さらに10分後
まだ帰ってこない。心配になって電話する。
「セブンのATM時間外で使えなくてさ…!」
マジすか
「今部屋に金ないか探してんだけど…ガサゴソ、ガサゴソ…、なさそう…ぷつっ」
ぅおい!電話切れたし。すぐかけなおす。
「桜の東京三菱のATM行ってみて、だめだったら誰かに借りる!」
意外と頼もしい友人。こんなとき車って便利。
お金を求めて走り回る友人。一方で、カラオケボックスにたった一人取り残された俺。こんな時に一人で歌ってるわけにもいかず、かといってボックスから出るわけにもいかず、ただただテレビに映し出されるサイバーダムの告知放送を眺める。
ベッキーうぜー。
10分後
電話がかからない。どうした友人!
さらに10分後
しびれを切らした俺が携帯片手にボックスのドアを出ようとした、そのとき
ガチャ
外から開けられるドア。友人が、息を切らして帰ってきた。
「どうだった!?」
「彼女にかりた!」
残り40分ほど、二人で声をからして帰った。
ぶっちゃけた話、辞めたい。と今思った。
別にお金には困ってない。まあ社会勉強だ。それに困ってないとはいえ、お金が増える分には問題はない。そう思って続けてるうちに、辞めづらくなってしまった。
なぜ辞めたいのか。
だって社長こわいんだもん。
あー軟弱ものですよ。悪いか。だって半分やくざだぜ、あれ。
あーついてけね。理不尽なんだよ。不条理なんだよ。
でも辞める勇気はない。いつもそうだ。ちくしょう。
明日も仕事だ。
ソ連報告書「1986年4月チェルノブイリ4号炉事故の原因と状況について」(1991)の中で、かなり過激に設計開発者をやり玉にしたり、「チェルノブイリ事故は起こるべくして起きた」なんて言ってるらしい。
一応ソ連が発表した調査報告では、最大の原因は操作員のミスということになっている。ヒューマンエラーってやつだ。したがって、原子力発電所自体に問題はない、と主張する。
一方で、事故の主原因はチェルノブイリ原発(RBMK1000型炉)の構造上の欠陥であって、人的ミスは引き金を引いたにすぎない、という主張もある。
構造上の欠陥というのは例えば、原子炉の出力を抑える制御棒の挿入スピードの遅さ、冷却水中に気泡が発生すると原子炉の出力が上昇し、さらに気泡が増加するという悪循環、またある条件化で制御棒が原子炉の出力を増大させる作用を持ってしまう設計ミス、など。
俺が流し読みしたいくつかの文献は、どちらかというと後者の主張に偏っている。ソ連の公式発表に反論する格好だ。
いずれにせよ、証言者の死亡や、数え切れないほどの遠因とそれらの絡まりあいによって、原因を断定することは非常に難しくなっている。
希望があるとすれば、非公開になっている一次資料があるらしいということだ。事故直前に現場の操作員達が交わしていた会話を録音したテープ、とか。「緊急停止ボタンを押せ!」みたいな声が残っている、らしい。(←伝聞を多用したため信憑性薄く聞こえますね)
これが公開され、現代の科学による分析が行われれば、事故発生までの流れがより克明に究明されるかもしれない。
忙しいはずなのに、古本屋でマンガを立ち読み。ああ、忙しいはずなのに。
GANTSというマンガを読む。ヤングジャンプで連載中。
面白い。
やばい、漫喫行きたくなってきた。あーゼミの発表の準備が…。
普段テレビも新聞も見ない俺がこのニュースを聞いたのは、一の矢食堂で昼飯を食ってるときでした。たまたまついていたテレビが、警察の突入による事件の終結を告げていました。
カンボジアには二回行ってます。シェムリアップには知り合いもいます。でも正直な話、それほど気には留めませんでした。どうせプノンペンかどっかだろう、と思ったからです。
丸一日がすぎ、友人からのメール。「シェムリアップで事件あったね」
あらっ、と思いました。シェムリだったか、と。
不思議なもんで、事件現場が知り合いの住む町だったとわかった瞬間、心配が生じました。もしかしたら、って。まぁ冷静に考えてあり得ないんですけどね。
想像力は距離感に比例する。
先日二人の友人と飲んだときにも話題にのぼったことですがね、その通りだと思います。
都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨
傘がない
井上陽水「傘がない」。
そうなんだよなぁ。ちくしょう。
陸上100mで世界新が出た。アサファ・パウエル(22=ジャマイカ)、9秒77。モンゴメリの記録を100分の1秒上回った。
追い風1.6メートルはかなりの好条件。2mを超えると参考記録となってしまい、公式記録にはならないからだ。
また190センチという長身は、最近の短距離選手にしては珍しい。身長が高すぎるとスピードに乗りにくいからだという(しのぴさん談)。なるほど。
で、上のグラフは何かと言うと、1936年から今日までの陸上100m年次記録の推移を表している。つまりその年世界で一番速かったタイムの変遷である。一番左が1936年。一番右が2005年パウエルの9秒77である。データ不足のためところどころ線が途切れているのはご容赦願いたい。(参考データ:陸上ランキング計算データベースシステム)
意外なことに、このグラフを見る限り、記録更新のペースは近年になってもそれほど落ちていないように見える。ほぼ一定と言っていいかもしれない。グラフを作り間違えたのではないかと自分で疑ってしまうほどだ。てっきり、人間の肉体の限界は近づいているものと思っていたのだが。
とは言え、いずれ限界は訪れる。いくら速くなったとしても、人間は100mを1秒で走れるようにはならないだろう。6秒だか7秒だか知らないが、いずれ記録の更新は止まる。
するとその記録の保持者は、人類で最も速い人間ということになり、未来永劫語りづがれることになる。
いや、でも待てよ。もしかしたらそいつより0.01秒速く走れるやつが出てくるかもしれない。その可能性は否定できない。だいたい「記録の更新が止まった」だなんて誰が決めるんだ。誰にわかるんだ。例えば今のパウエルの記録が100年間破られなかったとする。100年もたつとこの記録が後にも先にも人類最速だと言い出す人も出てくるかもしれない。でもその翌年には誰かが9秒76で走るかもしれない。それは誰にも予測できない。
あーつまり
朝の5時までこんなことしてる俺は暇人だってことだ。
さて今日はですね、柄にもなく図書館で5,6冊もいっぺんに本を借りてしまいました。なんでかって、それはまあ、当然のごとく、調べ物ですよ。シラベモノ。あーいい響きだこと。勉強した気になるね。へっ。
なんでそんな珍しいことをしたかと言うと、来週安全信頼性概論という授業でプレゼンがありまして、まあどんな授業かという話は無駄に文章を長くするだけなので省きますがね、とにかく俺は、「チェルノブイリ原発事故はなぜ起きたか」という題でプレゼンテーションしようと思っているんですよ。
1986年4月26日、だったっけな。旧ソ連、現ウクライナのプリピャチという町で、この事故は起きました。ってかそもそもプリピャチって町は、チェルノブイリで働く人間が住むために作られた町らしいんですが、それはいいとして。まあ人類史上最大と言っていいでしょうね。事故として。なんてったって舞い上がった放射能は日本にも届いたって言いますし。その被害は文字通り計り知れません。
去年の9月と今年の2月の計二回、ウクライナを訪れて、9月のときは汚染地域にも踏み込みました。低くても平常値の5倍、場所によっては(草むらとか廃屋の軒下とか)70倍もの放射能が残る地区に、今も一万人以上の人が住んでいました。
でね、ちょうどいい機会だから、というのは授業がそういう内容だったから、そもそも何が原因で事故が起こったのか、調べてみよっかなー、なんてね。っていうかそれを知らずにここまできていた自分ってちょっと、いやかなり、勉強不足だな、と。
基本的には人為的ミスだと言われているみたいなんですけどね。それが、原発そのものが悪かったのではない、という主張の根拠にもなっているようです。
少し話はずれますが、俺は原発推進でも反原発でもありません。両者がどういった理由でそれぞれの主張をしているのか詳しくは知らないし、知ったとしても、どちらにも納得してしまうような気がします。
でた、無関心、最近の若者の傾向。
もっとこう、問題意識とか、反骨心みたいなものを持たないといけないのかもしれません。
でもね、こういう問題の場合、理由もなく反発するのは馬鹿だと思うんですよね。両者の主張の根拠は何なのか、どんな事実があるのか、それらを偏見なく(というのは究極的には無理なのかもしれないけども)見比べてなきゃいけない。知識は必要だと思うんです。
でも、事実ってそれこそ無数にあるわけで、すべてを修めるなんてことは無理かもしれないんですよね。だから「一生勉強」みたいな言葉も生まれるわけだし。
でもね、結局short term(あ、英語久しぶりに書いた)には、どこかに仕切りを設けなきゃなんないですよね。でも(でもが多いな)じゃあ、その仕切りのタイミングあるいは位置が正当、とまでは言わないまでも、妥当、かどうかの判断って果たしてできるんでしょうか。
って元の話はなんだっけな。
まあこれ以上深くは考えないってのが俺の悪い癖で、でも「考えすぎないほうがいい」なんて言い方もよくあるから、良くも悪くもあるかなーなんて、そんなのは言い訳だって。
この話はいいか、とりあえず。
あれけっこう労力いるんだもん。
もともと文章を書くのがひどく苦手な性質で、小学校の作文などでは原稿用紙と最低1時間以上にらめっこしないと書き出せませんでした。
最近ほとんど生まれて初めて作詞を試みているわけですが、これがまた作文に輪をかけて難しい。
これは俺の解釈ですがね、詩って文以上に型が決まってないじゃないっすか。要は好きなように書いていいわけですよ。自由にね。ところがこれが曲者だ。何を書いてもいいと言われると、何を書いていいか分からなくなるんですね。思考があちこち歩き回って、ちっとも方向性が定まらない。モニターとのにらめっこです。
そこで思いついたんです。自分で言うのもなんですが、これなかなか名案ですよ。つまり、夢をね、詩にするんです。
夢ったってあんた、「将来はお嫁さんになりたいです」とか「僕の夢は野球選手です」みたいな、そっちの夢じゃありませんよ。それじゃあなた、どっかの青春作詞家みたいじゃないですか。そうじゃなくて、夜見るやつ。正真正銘、眠ってるときに見る、あの夢です。
やり方をお教えしましょうか。何も難しいことはありゃしません。まずね、夜布団に入る。何も考えずに寝る。すると気づいたときには明け方だ。夢ってのはね、目覚める直前に見るもんなんです。朝目覚めたあなたは、つい今しがた見た夢をまだ覚えている。もちろん漠然とでいいんです。そんなにこと細かに覚えている必要はありません。夢なんて起きて10分後には忘れちまうってのがほとんどですからね。
さてあなたはまだ布団の中だ。目覚めてすぐですから、そりゃ眠いですよ。まだ頭も体も覚醒しない状態だ。もしかしたら二度寝したくてたまらないかもしれない。でもここからが本番だ。少しだけがんばってほしい。ほんの少しでいいでさぁ。つまり、眠い体を起き上がらせて、枕もとのメモ用紙とペンをとって、今の今まで見ていた(という言い方は正確じゃありませんがね。だって実際目は閉じてるんですから。)夢を書き留めていただきたい。
さっきも言ったように、夢なんて漠然としたもんですから、もちろん覚えている範囲でかまいません。ただし、覚えている限りできるだけ細部まで書き留めるのってのがこつですかね。ストーリーでもいいし、情景でもいい。とにかく見たとおりに書くんです。
それが終わったらもう作業の7割は終わったも同然でさぁ。あとは暇なときにそのメモを読み返して、詩っぽく見えるようちょちょっと手を加えればできあがり。どうです?簡単でしょ?
コードを並べて、なんとなく思いつくままにメロディーを口ずさむことはできるんだけど、どうしてもお気に入りの曲に似てきちゃうし、口ずさんだそばから忘れていく。
大学入ってから知り合った人たちはみんな頭よくて、しっかりしてて、哲学持ってて、まったく俺なんか足元にも及ばないような人ばっかで。そんな人と話すときはボロを出すのが怖くて、俺はますます無口になってしまうわけです。
で、そんな人たちが書いているブログに比べて、俺のこのブログなんてひどいもんだな、と。適当もいいとこですよ。まったく中身ないですよね。笑えるような話もないし。共感できるような話もないし。ある種の情報を提供しているわけでもないし。自己主張するわけでもないし。統一性ないし。ほんと徒然。でも自分の文章を「徒然」なんて呼ぶのは、吉田兼好ぐらいの人が謙遜して使うからかっこいいんだと思うんですね。俺のはただの垂れ流しですから。
だからどうだということもないんですが。
そうそう、やっぱり早寝早起きって大切ですよね。話は変わるけど。生活のリズムが正常だと、精神的にも安定しますから。あと自転車ね。これあるとなぜか日々の過ごし方に締りが出んの。徒歩でたらたら移動してると、それ以外の部分もたらたらしてくんの。不思議と。
そういう意味では、とりあえず、人んちで明け方までゲームしてるような生活は良くないですな。でもね、ものにはいろんな側面があって、ある意味ではこういうのも、いい、と思うんですよ。ある意味ではね。
さて今日もバンド練です。
練習の前に筑音のライブをチラッと見た。バンド数にして3つか4つ。どうなんだろうな。セックスマシンガンズやってるバンドが一つあって、これはうまかった。でもあとはそうでもなかった。フレッシュマンライブだからか。
で、つい自分たちと比べてしまうわけだけど、やっぱりドラムが安定してるというのは演りやすそうだな、と。ベースのことはよくわかんないけど、うちのベースも負けてないと思う。ギターもマシンガンズやってたとこ以外になら、負けてない。ボーカルは俺の全勝(おい)。
でもねぇ、CDで自分の聴いてみるとけっこう雑というか、細かいところでずれが生じているのよね。もうちょっと丁寧に唄おうと思った。
MARTINのD-1というアコギと、エレキが二本。FERNANDESと、YAMAHAのストラト。エレキは二本とも借り物。
MARTINのアコギは中学卒業直後に奮発して買った。地味な外見と、何より音がいい。よく鳴り、かつ繊細な単音弾きもきれいに出る。
YAMAHAのストラトは友人から無期限レンタル中。白地に黒のピックガードという色使いがけっこうかっこよくて気に入っている。友人いわく「安物」らしいが、とりあえず構わない。一応音出るし。弾きやすいし。今はこれがメイン。
FERNANDESは外見は正直よくはない。青一色。音もたぶんYAMAHAには劣る。といってもエレキ初心者の俺にはその辺の違いは分からない。こちらはたぶんそのうち返さなきゃいけない。
アコギの入ったハードケースを壁際に。エレキはスタンドに立てていつでも手に取れる状態。
譜面台には楽譜が乗って、アンプ、エフェクター、シールドが床に無造作に並んでいる。
いい眺めだ。
さて明日は筑音のフレッシュマンライブがあるらしい。知り合いも出るのでちょっと見に行くつもりでいる。去年も行ったけど、当時はまだバンドやってなかった。今見ればまた違う印象を得られるはず。勉強にもなるだろう。楽しみだ。
午後六時にいつもの部屋に集合。八時半ごろまで練習。暑い。汗だく。真夏はどうなってしまうのか、想像したくもない。
いったん飯食いに外に出て、帰ってきてから録音開始。MTRという録音機材を自腹で買ったサークルの先輩が協力してくれた。
初めて自分たちの演奏を聴く。うまくはない。でも何か取り返しのつかない落ち度があるというよりは、練習不足、というか、発展途上。まだうまくなる余地は十分ある、と思った。
あー楽しい。
今月12日にサークルの内輪ライブがある。その次には学祭が控えている。
あー、楽しい。
あーエレキうまくなりてー。ここんとこ一日2時間は弾いてるね。