今何時だろうか。安物の腕時計は暗闇のなかでは役に立たなかった。おそらく深夜2時前後。俺はハノイへの方向へ歩いていた。ボーたちと別れてからしばらくは、まだ宿を探しながら歩いていたが、それはもうあきらめた。ない。今はとりあえず野宿する場所を探しながら歩いている。ガソリンスタンド、家の軒下、橋の下・・・。たまに人を見つけては寝かせてくれと頼んでみるが、ことごとく断られる。ベトナム人はなんて冷たいんだ。俺はさっきボーたちと別れたことを後悔し始めていた。あのラブホにでもいいから泊まっておけばよかった。
とここでバス停を発見。数人の酔っ払いがたむろしている。屋根がある。見ると、ハノイ行きのバスが出ている。ハノイまで約20kmということも判った。俺は決心した。ここで寝よう。酔っ払いがうざいから反対側のバス停で。少し離れているし暗いから見つからないだろう。明日の朝一でバスに乗ればハノイにたどり着ける。荷物を前に抱えたまま地べたに座り込み、壁に寄りかかって目を閉じた。
数分後。
ポンポン。誰かが俺の肩をたたいている。薄目を開けて見ると、さっきの酔っ払いの一人だ。やっかいなことになった。どうしよう。男は執拗に俺を起こそうとする。肩を揺さぶったり、顔をたたいたり。あーもう。最悪だ。早くあっちに行ってくれ。俺は無視を決め込み寝た振りを続けた。
ポンポン。ゆさゆさ。ぺしぺし。男の攻撃は続く。ポンポン。ゆさゆさ。ぺしぺし。ブニー。
「ブニー」!?
男は俺の耳たぶを引っ張り出した。しかもかなり強く。ふつうに痛い。さらに男の攻撃はエスカレートする。
ぶにー。ぶにぶに。
今度は耳の穴に指を突っ込んできた。これは気持ち悪い!しかし俺は耐える。早くどっか行ってくれえ!
カチャカチャ、カチャカチャ
ってうわー、さすがにそれは駄目だ。この男、俺の腕時計に手をかけた。はずそうとしている。安物といえどもこれは失いたくない代物だ。俺は男の手を払った。立ち上がって、知らん振りで歩き出す。男は後ろからついてきて何か言っているが、無視。しかと。うるさい!一人で寝かしてくれ!とうとう男はあきらめて去っていった。
15分後。俺は新たな寝床を探して歩いていた。さっきのようなバス停も見つからない。この際朝まで歩きとおしてやろうか、などと考えていたその時だった。
ブンブーン、ブロブロブロブロブロ・・・
後ろでエンジンの止まる音。振り返って目にしたものは、バイクのハンドルを握るさっきの男と、その後ろに乗っている青服のおっさん。まさか・・・。降りてきた青服の男は懐から手帳のようなものを取り出して俺に見せつけた。
「警察だ」
たぶんそう言ったんだと思う。俺はおもわず両手を上げた。最悪の展開。警察はパスポートの提示を求めた。言葉はまったくと言っていいほど通じない。身振り手振りで言いたいことを伝える。明日ハノイに行く。今は寝たいだけなんだ。彼らが全てのジェスチャーを理解したかどうかは定かではないが、とりあえず、バイクに乗れと言う。乗れ、ってあんた、三人乗りですか?そうだ、早く乗れ。・・・。どこに連れて行こうというのか・・・。
バイクは深夜の道をすっとばして走った。まっすぐハノイに向かう道。この道路から外れない限り、ハノイ行きのバスには乗れるから安心だ。この道を外れない限り・・・
クイッ
えー!!右折!?バイクが道をそれた。まずいまずい。どこに向かっているか分からない。と思ってるそばからまた右折!!逆方向じゃん!俺は運転手の肩をたたいてバイクを止めた。
ハノイに行きたいんだ。とりあえず今日はどこかで寝たい。明日の朝、起きたらバスでハノイに行くんだ。
改めてこちらの意思を伝える。「あー分かった分かった」みたいなことを言っている。寝られる所に連れて行ってくれるそうだ。「乗れ」とまた言う。怪しい。ちゃんと伝わっているのだろうか。でも今ここで一人取り残されたら、それこそ危ない。しょうがない。したがうしかない。バイクにまたがろうとしたその時だった。
トントン。
ん?警察のおっさんが、俺の肩を叩いた。見るとベトナム語でごにょごにょしゃべりながら、片手の親指と人差し指をすり合わせる仕草。こ、これはもしや、
「4ダラー」。男が通訳した。やっぱり。賄賂(わいろ)だ。4ドルわたせと。「いやだ。」と断る。しかし警察はしつこく擦り寄ってくる。ベトナム語でごにょごにょごにょ・・・。運転手の男の方も説得口調で、わたしちゃえよごにょごにょごにょ・・・。二人ともなぜか小声。誰も聞いちゃいねーよ、と思いつつしぶしぶ4ドル渡す。4枚しっかり数えた後、警察はこう言った。「ワンダラーごにょごにょごにょ」。男「もう一ドルだって、従ったほうがいいよごにょごにょごにょ。」うざい。が、わたさないとどうにも動こうとしない。仕方なしに1ドル渡す。
5ドル。日本円にして500円強。こうやって考えるとぜんぜんたいしたことないように思える。でもベトナムでは、1ドルあれば腹いっぱい飯が食える。現地の金銭感覚で言ったら5ドルはけっこう痛い(注:旅行中の著者はかなりけち)。でもこのときは、背に腹はかえられなかった。
俺がした追加の1ドル札を見据えてから、警察はこう言った。
「ワンダラー」
まじこいつ死ね。
結局計6ドルをかすめとられ、俺は再びバイクの後ろに乗った。警察はわいろをゲットすると一人去っていった。名前聞いといて、後で訴えようかと半分本気で思った。
バイクは深夜の道路を再度爆走した。宿を探してくれているのはわかった。
20分後ぐらい、宿を見つけた。今度はラブホじゃない。まっとうなゲストハウスだ。狭いロビーのソファに主人らしいおっさんが、だるそうに座っていた。バイクの男はおっさんに一通り事情を説明してくれた。俺はおっさんに一番安い部屋の一泊の値段を聞いた。「10ダラ。」高い。しかししょうがない。もう節約とか言ってらんない。時間は午前3時近くなっていた。俺はおっさんに一泊する旨を告げ、バイクの男に向き直った。ありがとう。さようなら。すると男は言った。
「ワンダラー」
俺はあの警察とこのバイクの男が大嫌いだ。