「うちに遊びに来ないか」
レバンフイがそう言い出したのは、話し始めて2時間ぐらいたった頃だった。2時間といっても、お互い不慣れな英語のしかも筆談だ。沈黙も多い。普通の会話なら15分で終わっているような内容しか話していない。
「悪いよ」「できるだけ早くフエに着きたいんだ」「人の助けはかりない主義なんだ」いろいろ言って、断った。でもどの理由も80%は嘘だった。本当の理由は、彼を心底からは信用していなかったからだ。それを悟られないように、気を使った。親切にされ家まで行ったら、睡眠薬を飲まされて身ぐるみはがされた、なんて話は何度も聞いたことがある。俺自身、インドのガヤ駅で知り合った男の家まで行って、途中で逃げるようにして退出した経験がある。ただし、そいつが俺をだまそうとしていたのか、それとも本当はただの親切な人だったのかは、未だに断言できない。もし後者だったなら、俺は死ぬほど失礼な態度をとったことになる。
「そうか、分かったよ」レバンフイはあっけなく引き下がった。まただ。下心のあるやつだったらここであきらめたりはしない。しつこく食らいついて、誘ってくるだろう。やっぱり彼は、騙そうとなんてしていないのか?
太陽がほぼ真上に昇った頃、ふいにバスが大きくハンドルを切って道端の駐車場に入った。いっせいに席を立ち始める乗客の流れに乗って、俺とレバンフイもバスを降りる。レストランだった。町ではない。ざっと見渡した限り、そのレストラン以外の建物は見当たらない。長く伸びる道路の脇に、ぽつんと一軒だけ建っている。
ベトナムの飯はうまい。屋台だろうが、どんな安レストランだろうが、ほぼはずれがない。しかも一食1万ドン前後(0.7ドルぐらい)。安い。1号道路沿いのこういったレストランにあるのは、だいたいフォー(麺)とコム(米、おかず付き)が基本で、せいぜいそのバリエーションが二、三あるだけだ。でもうまいから問題なし。
同じテーブルに座った男たちが、ビンに入ったうす黄色い液体をまわして飲んでいる。飲めと言われて口に含むと、のどが焼けて思わずむせた。度数ばかり強い安酒だ。テーブルの周りにどっと笑いが起こる。何度も勧められたが、とても飲めなかった。
小一時間もたつと、出発を知らせるクラクションが長く響いた。食後のお茶を楽しんでいた他の乗客たちと一緒に、ぞろぞろバスに乗り込んでいく。前と同じ席にレバンフイと並んで座った。
と、まだ発車もしていないのに、レバンフイが俺の肩を叩いた。来い、という仕草をしてバスを降りてしまう。訳も分からず後に続いて降りる。もう乗客はほぼ乗り切っている。なんだ?
バスの後ろにまわって事態を飲み込んだ。男たちが4,5人集まって車体を押している。そういうことなら・・・。勢い込んで男たちの間に割って入り、両手をついて足を踏ん張る。バスがゆっくりと前進を始める。その直後、ブルン、と大きな音を立ててマフラーから黒い排気ガスが噴きだされた。おんぼろバスはこうしないとエンジンがかからないのだ。俺とレバンフイは笑って顔を見合わせた。